日本時間生物学会は1994年に「生物リズム研究会」と「臨床時間生物学研究会」が併合して設立しました。

生物リズム研究会を発展的に解散するに当たって

九州大学 健康科学センター川崎晃一 (前生物リズム研究会事務局長・運営委員)

1.会発足のきっかけ

生物リズム研究会の設立を思い立ったのは、国際クロノバイオロジー学会を設立し、当時会長職にあったミネソタ大学のHalberg教授からの一通の手紙がきっかけであった。Halberg教授は以前から“クロノバイオロジー”を学問として確立させ、それを世界中に広めるためにエネルギッシュに行動しておられたが、国際クロノバイオロジー学会を日本で開催してほしいという要望の手紙が、 昭和58年夏頃私のところに届いた。

名古屋大学ならびに名古屋市立大学の名誉教授で、高校(先生にとっては旧制中学)九大医学部の大先輩であり、Halberg教授とも面識のある高木健太郎先生にご相談したところ、先生にも同じ趣旨の手紙が届いていた。当時国会議員であった先生をたずねて参議院会館を訪れ、先生のご意見を伺った。そこで私共は、日本に受け皿となる学会または研究会もないので、現状では国際学会を引き受けることはできないだろう、との結論に達した。しかし一方で、日本にもリズム研究者の集いがあってもよいのではないかという点で合意に達した。直ちに設置準備委員会を組織しようとその場で人選が行われた。今から考えると、あまりにも独断的かつ一方的な発想であったように思われるが、そのときは私も“善は急げ"、と夢中で片棒をかついでしまった。

2.運営委員会

高木先生は参議院会館から主だったリズム関係の研究者に電話をかけて賛同者を募られた。この電話攻勢がなければ、『生物リズム研究会』がこれ程速やかに発足したかどうかも疑わしく、当時の先生の素早い行動を今でもなつかしく思い起こして感服している。 先生の敏速な行動力については、後日お尋ねしたことがある。先生は、「忙しい人間は即決即断で事を運ばないと忘れてしまうからネ」、と笑っておられたのをつい先日のことのように思い出す。また先生は、会発足計画当初から医学系に片寄らず広く自然科学、社会科学などいずれの分野の研究者も参加できる研究会であることを強く希望されていた。

研究会発足に向けての最初の運営委員会は昭和58年秋名古屋で開催した。運営委員の先生方に集まっていただいたものの、わたし自身全国組織の研究会を発足させるのは初めての経験であり、ノウハウも分からず不安で一杯であった。しかし、運営委員会は代表世話人になっていただいた高木先生をはじめベテランの先生方ばかりで構成されており、専門分野は異なっても、何よりも“生物リズム研究会”を発足させようという情熱と意欲をもって集まっていただいた方ばかりであったため、いくつかの難問題も極めてうまく処理できたように思う。第1回の会合では次のような議題について討議が行われた。

・研究会の名称について
・会員の募集方法について
・内規作成について
・第1回研究会開催について
・その他

紙面の都合で詳しいことは省略するが、発足当初から会費を徴収することは、事務的にも繁雑になるので当分の間無料とする。 そして多くの人の会員になってもらうことを目標にした。そのため、 運営委員全員にお願いして各地区で生物リズムに興味をもち、研究に従事している人々のリストを提出してもらい、事務局から入会申し込み用紙を趣意書とともに発送した。内規は事務局で既存の学会・研究会の内規を参考に原案を作成して、次回の運営委員会に提出することにした。

第1回運営委員会で新しいメンバーを推薦してもらっていたので、第2回運営委員会は新メンバーも参加していただいて、昭和59年4月14日(土)東京で開催した。議題は下記のとおりである。

議題:新メンバー紹介
・研究会準備進捗状況について
・内規(案)の検討
・案内状送付先の検討
・その他
参加者:
代表幹事:高木健太郎(名古屋大学 名古屋市立大学 医学部)
(五十音順)
遠藤四郎(東京都精神医学総合研究所)
大原孝吉(名古屋市立大学 医学部)
川崎晃一(九州大学 健康科学センター)
川村 浩(三菱化成生命科学研究所)
鈴木良次(大阪大学 工学部)
千葉喜彦(山口大学 理学部)
登倉尋実(奈良女子大学 家政学部)
永坂鉄夫(金沢大学 医学部)
広重 力(北海道大学 医学部)
矢永尚士(九州大学 生体防禦医学研究所)

また、第1回研究会は、運営委員に生気象学会会員が多かったこともあって、生気象学会に付随した形で行うことが代表幹事から提案され、了承された。

3.第1回生物リズム研究会開催

昭和58年末から計画し、準備を進めて来た第1回生物リズム研究会は、大原孝吉名古屋市立大学生理学教授を当番世話人として、昭和59年12月1日午後、第23回生気象学会終了後に同じ会場で開催された。高木健太郎代表幹事の研究会発足に当たっての挨拶、内規(案)の説明のあと、川村浩博士が『生物時計としての視交叉上核』という題で講演された。

1年間にわたって会員を募集した結果、12月1日現在で表1に示す会員が登録された。

表1.生物リズム研究会会員数など[昭.59.12.1.現在]

入会者数今回出席者数
医学系107 (26) 70.9%40 (14)64.5%
理学系9 ( 1)6.0%5 ( 1)8.1%
農学系11 ( 1)7.2%3 ( 0)4.8%
その他24 ( 9)15.9%14 ( 5)22.6%
151 (37)100.0%62 (20)100.0%
 (カッコ内:生気象学会員)

4.生物リズム研究会の活動状況《第2回~第10回》

第2回研究会は東京都町田市にある三菱化成生命科学研究所で昭和60年10月9日午後1時30分から開催された。一般演題8題、シンポジウムには理学部、農学部、医学部基礎ならびに臨床の4教授に参加していただき、熱心な討議と意見交換が行われた。出席者は72名で、予想をはるかに上回った。なお、本研究会の創成期から、 組織作りや運営に関して常にリーダーシップを取って来られた高木先生は代表世話人を退かれて、顧問になられた。後任の代表幹事には川村浩先生が選出された。本研究会で初めて発表された一般演題ならびにシンポジウムの演題と演者を記しておく。

【一般演題】
(1) Circadian cellular pacemakerのparametric 及びnon-parametric な同期機構 北里大・医・生理、ME* 長谷川建治、田中舘明博 (2) 睡眠促進物質とラットの睡眠-覚醒リズム 東京医歯大・医用器材研 本多和樹、菰田泰夫、井上昌次郎 (3) ハト(Columba livia)の視床下部破壊による行動リズム、体温リズムへの影響 名古屋大・農・家畜生理 大島五紀、海老原史樹文 (4) マウス松果体のメラトニン欠損に関する遺伝・生化学的研究 名古屋大・農・家畜生理・Univ of Oregon 海老原史樹文、*M. Menaker
(5) ワモンゴキブリ体内時計の免疫組織化学的検索 神戸大・農 竹田真木生、斎藤裕之、安原昭江、宇尾淳子
(6) 飼育条件の違いにより生じたサーカデイアンリズムノフリーラン周期の変化 滋賀医大・精神 山田尚登、下田和孝、大井 健、 高橋清久、高橋三郎
(7) ラット視床下部単一ニューロン活動の日周リズム 富山医薬大・医・生理 柴田良子
(8) フロセミドの時間薬理学的研究 大分医科大・臨床薬理 海老原昭夫、藤村昭夫

【シンポジウム】
『生物リズム研究の展開』
(1) 概日リズム-共同体から細胞まで 山口大・理 千葉喜彦
(2) 季節リズムと概日リズム 弘前大学・農・昆虫研 正木進三
(3) 生物リズムの個体発生と系統発生 北海道大・医・生理 広重 力
(4) 不整脈と生体リズム 九州大・生体防御医学研 矢永尚士

第3回以降、本研究会が発展的に解散して『日本時間生物学会』になる前年の第10回研究会までの開催日・場所、当番幹事、演題数などをまとめて表2にした。

表2.開催された研究会に関するまとめ(第3回~第10回)

回数日時開催場所当番幹事一般演題数特別講演・シンポジウムなど
第3回1986.11.29山口大学千葉喜彦8【特】Cell Biology of Circadian Bioluminescence(Johnson,C.)
【特】精神医学と生体リズム(永山治男)
第4回1987.10.25滋賀大学井深信男25【特】何でもリズムの立場から(森 主一)
第5回1988.10.1九州大学川崎晃一21【特】リズム研究の展望(高木健太郎)
第6回1989.9.30東京医歯大井上昌次郎21【特】食欲とそのリズム(大村 裕)
第7回1990.9.29奈良女子大登倉尋実22【特】生理的リズムの1/fゆらぎ(武者利光)
第8回1991.10.19九州大学矢永尚士21一般演題のみ
第9回1992.9.25東京都神経科学総合研究所高橋康郎23【シンポ】 臨床時間生物学研究会との合同
シンポ:生物リズムと光(6名)
第10回1993.11.5岡山大学中島秀明20【シンポ】概日系の解析

運営委員会のメンバーも回を重ねるに従って変わり、第8回研究会開催の時点では下記のメンバーであった。
川村 浩(代表幹事)、井上昌次郎、井深信男、大石 正、川崎晃一、高橋清久、高橋康郎、田村康二、千葉喜彦、登倉尋実、中島秀明、長谷川健治、本間研一、矢永尚士(50音順)

第8回研究会運営委員会では会の組織体制について討議された。研究会発足当時から九州大学健康科学センター内に事務局を置いていたが、この会を発展させるためには研究室員の多いところに変えた方がよい、と判断して、岡山大学理学部中島秀明教授の研究室に移すことを決議した。またこれまで会費を徴収せずに研究会を開催してきたが、会の発展のためには経済的な裏付けが必要であり、会費を徴収することにした。さらに本研究会を学会に発展させるための討議が行われた。

5.おわりに

かくして、10年間続いた『生物リズム研究会』は1993年を最後に、臨床時間生物学研究会と併合して、1994年から『日本時間生物学会』として生まれ変わった。この間、創設期に研究会発展のために労力を惜しまれなかった先生方の何人かは、『日本時間生物学会』の誕生を見ずにお亡くなりになっている。特に初代の代表幹事役を引き受けてくださり、研究会の発展を常に心掛けて見守ってくださった高木健太郎先生も1990年9月24日に亡くなられた。先生は同年7月23日に行われた 24th Council for International Organiza tions of Medical Scienceで、Genetic Screening-Policymaking Aspects(遺伝子スクリーニング-その政治的展望)について講演をされたあと、体調を崩されて、9月に計画されていた“傘寿の会”にもご出席されぬままお亡くなりになったと伺っている。先にも述べたように、先生は医学、理学、農学などの縦割りの学問の垣根を取り払った学際的な学会を望んでおられた。先生のご遺志を受け継いで、『日本時間生物学会』がさらに発展することを願っている。

最後に、本研究会発足の準備期から長年にわたって経済的援助を惜しまれなかった日本コーリン株式会社(社長篠田昌幸氏)、ならびに賛助会員として支援していただいた企業に対して、前事務局より心からお礼を申し上げる。また、事務局担当の唯一のメンバーとして、縁の下で雑事の労を惜しまずに事務局を支えてくれた上園慶子助教授に感謝する。

第1回研究会の後の懇親会風景。挨拶されるのは千葉喜彦先生 (左)と司会の川崎 (右)。

第1回研究会で特別講演される川村浩先生と司会の故大原孝吉先生。

[one scene in first symposium]